満り久保(まりくぼ)遺跡 現地説明会 [旧石器]

現在、南佐久郡佐久穂町の満り久保(まりくぼ)遺跡が発掘されています。

削片系の細石刃石核、尖頭器十数点など黒曜石石器が出土しています。
ここは、麦草峠から流れ出る大石川が千曲川へと合流する地点で、黒曜石搬出の際には分岐点にあたった場所と考えられます。

黒曜石製石器は1500点ほど、現地説明会が下記のとおり実施されるのでご案内いたします。

■日時:11月14日(土)午前10時30分から午後2時30分まで
 雨天の場合は現場で遺物見学のみ。
■場所:南佐久郡佐久穂町畑 千ヶ日向総合グラウンドのゲート前
■問合せ:長野県埋蔵文化財センター 026-293-5926

http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=36.131497,138.464212&spn=0.025857,0.044804&z=14

小山寺窪遺跡 現説 [イベント]

小山寺窪遺跡 現地説明会のご案内

長野県埋蔵文化財センターが、中部横断自動車道建設工事に伴って発掘調査している佐久穂町高野町の小山寺窪遺跡の現地説明会が10月24日(土)に開かれます。
今回の調査では、平安時代から室町・戦国時代にかけての住居跡や建物跡、溝などが発見されました。
この機会にぜひご見学ください。

1 日 時:平成21年10月24日(土)午前10時から午後3時まで 
      全体説明:①午前10時30分~ ②午後1時30分~
     ※雨天の場合、遺跡見学は中止ですが、資料などの見学はできます。
2 場 所:小山寺窪遺跡 佐久穂町高野町
(佐久西小学校近く。詳細の地図は長野県埋蔵文化財センターホームページhttp://maibun.naganoblog.jp/c16638.html にあります。)

            by  しゃれこま

遺跡と環境 [講座・講演会]

長野県埋蔵文化財センター柳澤亮さんからのお知らせです。

2009年度博古研究会 研究発表会

長野県立歴史館で「遺跡と環境」をテーマにした中国・日本の考古学の成果発表があります。人と環境との関わり合いを考える好機となりことを期待しております。
大勢の皆さまのご来場をお待ち申し上げています。

                     記

1.名  称:博古研究会 2009年度研究発表会(一般公開)
2.副  題:遺跡と環境
3.会  期:平成21年(2009年)11月1日(日)午前10時30分~15時30分 
4.会  場:長野県立歴史館 講堂
5.主催団体:博古研究会
6.共催団体:長野県立歴史館
7.資料代:500円

内容   
a.「内陸部における縄文人と環境一屋代遺跡群の調査研究から(仮題)」
       長野県立歴史館 学芸員 水沢 教子氏
b.「海と縄文人 東京湾沿岸の貝塚研究から(仮題)」
      千葉県教育庁 文化財主事 吉野 健一氏
         (昼  食)
④記念講演会     13時10分~15時00分
  「中国における古代人類と動物の関係(仮題)」
 中国社会科学院考古研究所 考古科学研究技術センター長 袁 靖 氏

⑤総括        15時00分~15時20分
         長野県埋蔵文化財センター 調査研究員  川崎 保 氏
⑥閉会
                                    
■ 2009年度博古研究会 研究発表会事務局

  柳澤亮(長野県埋蔵文化財センター)
  勤務先:026・293・5926
  Mailto:Hakko.Nagano@gmail.com

北相木村「ノンコ岩1岩陰遺跡」の発掘調査 [考古情報]

本年も首都大学東京(山田昌久教授)と総合研究大学院大学を中心に、北相木村の国史跡栃原岩陰遺跡に程近い、ノンコ岩1岩陰遺跡の発掘調査を下記の通り行うこととなりました。
 遺跡は国史跡栃原岩陰遺跡の北東に位置し、昨年は動物骨の小片や微細な植物遺存体が見つかっていますが、今年は人工遺物の発見を目指します。
 期間中、見学等も可能ですので、お気軽にお問い合わせ下さい。

● 日 程  9月15日~9月24日(15・24日は移動日)
● 場 所  発掘調査 長野県南佐久郡北相木村栃原地区「ノンコ岩1岩陰遺跡」            土壌の洗浄・顕微鏡観察 北相木村スポーツ施設「グリーンドーム」
● 問い合せ 北相木村教育委員会  
● 担 当  藤森英二(0267-77-2111)---北相木村教育委員会

縄文式釣針を使ったマス釣り体験のお知らせ [イベント]

テーマ   栃原岩陰遺跡で出土している骨製の釣り針を作って、マスを釣ってみましょう!
日 時   平成21年8月16日(日)9:30から12:00頃まで
集合場所 北相木村 役場前駐車場
参加料   無料(博物館ご見学の場合は別途入館料が必要となります)

申し込み先  0267-77-2111 公民館または博物館まで、事前に電話にてお申し込み下さい。
         (定員になり次第締め切らせていただきます)

持ち物等 釣竿(ある方)・帽子・雨具・水筒・長靴・サンダル(川原に入る場合があります)
・各自「北相木村役場前」に集合して下さい。
・釣り針の材料、釣糸、餌はこちらで用意します。
・なるべく釣竿はご持参下さい。
・釣った魚は持ち帰れます。
・小学生以下のお子さんは、なるべく保護者の方とご参加下さい。
・大雨の場合は中止といたします。

講座 考古学が語る佐久の古代史 [考古情報]

考古学が語る佐久の古代史の講座が開催中です!

佐久考古学会と浅間縄文ミュージアムの共催
お申込みは浅間縄文ミュージアムに。電話:0267-32-8922 jomon@mx2.avis.ne.jp
全講座あわせて受講料1000円、でれない講座の場合は当日資料をお送りします。

8月 2日(日) 1:30~3:00 縄文時代   「森に生かされた日々」 藤森英二

9月19日(土) 10:30~11:30 弥生時代 「高冷地の稲作に挑む」 小山岳夫

10月17日(土) 1:30~3:00 古墳時代 「絶対的支配者の不在」 冨沢一明

11月 8日(日) 1:30~3:00 奈良・平安時代「信濃国佐久郡の暮らし」 桜井秀雄

12月 6日(日) 1:30~3:00 中世 「道沿いに連なる村々と館」 森泉かよ子

講  師 ( 日程、講師は、変更になることもあります。変更の場合、申込者にお知らせします。)
桜井秀雄(長野県埋蔵文化財センター)・藤森英二(北相木村考古博物館)・小山岳夫(御代田町)・冨沢一明(佐久市教育委員会)・森泉かよ子(佐久市教育委員会)
※ 旧石器時代の講座は、7/5に終了しました。

推定東山道清水駅 [奈良・平安時代]

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「ここに間違いない」
 信濃史学会会長であった一志茂樹博士は、国道18号と国道141号が分岐する西原交差点付近の小諸市諸区に、古代の官道である東山道清水駅跡の推定地を置いた。
 現在、「東山道清水駅跡」という石碑が立っているその場所である。ただし、発掘調査によってこの場所が駅跡と判明したわけではないため、あくまでも推定地である。
周辺には「里見の井戸」と呼ばれる井戸や、飲堰や地割なども残っていることから、一志博士はこの場所を清水駅跡と断定したのである。
 東山道はここから長倉駅へと向かう。長倉駅の所在やそのルートには諸説があり、熱い議論が行なわれており、関心は高い。
東山道は今もなお、私たちの心をとらえて離さない東山道、それはまぼろしの古代ハイウェイである。

場所:上田方面から来ると、国道18号西原交差点左手の小道へ進むと道沿いに石碑がみられます。ソフトバンクのショップの北裏にあたります。

                          しゃれこま

原田昌幸先生の講演会開催 ! [考古情報]

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 6月14日(日)、佐久考古学会と浅間縄文ミュージアムの共催で、
 講演会「土偶にみるまつり」が行われました。

 講師は、土偶研究の第一人者である文化庁の原田昌幸主任文化財調査官です。
 しかも御祖父が御代田町小田井のご出身であるという佐久とも深い縁のある先生です。

 1万年以上も作られ続けた土偶ですが、最初は家族祭祀の目的で作られ、用いられた呪術具であったものが、のちには集団的祭祀へと変化していったこと、土偶はやはり女性像を形どったものであること、など興味深い話に100名近くの聴衆は引き込まれ続け、あっという間に時間は過ぎていきました。今年、大英博物館で展示される土偶の数々もスライドで紹介してくださり、土偶の魅力を満喫した一日でした。

終了後の懇親会の席上で、原田先生から、土偶が「女性祭祀」であるのに対し、北沢の大石棒をはじめとして石棒が目立つ佐久は「男性祭祀」優位の地域だったのではないか、というお話がありました。

現在の佐久はどうかというと・・・・・縄文時代に思いを馳せる男性会員達でした。

                       by しゃれこま

月明沢遺跡 [弥生時代]

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佐久には洞窟・岩陰遺跡がいくつかありますが、先日、佐久市前山の「月明沢遺跡」を訪ねる機会に恵まれました。
蓼科山起源の火山噴出物の末端が浸食されて出来た岩陰とされ、谷底からは約20mでしょうか、ほぼ垂直の崖にありました。

 1965年、地元中学生が発見し、有志の発掘により10数体分の人骨、土器、石斧、鹿角等を発見。このうちの一部を信州大学医学部で鑑定し、1971年に西沢寿晃氏、小松虔氏らによって発掘調査されています。この時の調査でも、土器片の他、抜歯や焼かれたものを含む人骨、穿孔された人の歯が出土しました。また出土した土器は弥生時代初期のものと思われます。
 遺跡の性格としては、出土した(あるいは採取された)遺物から、おそらくは弥生時代の再葬墓関連施設と位置づけたいところ。つまり、別の場所から、遺体(もしくはその一部)を、ここに埋めなおした場所と思われるのです。

とにかくすごい立地でした。当時の地形までは分かりませんが、このような場所に故人を葬った心情は、いかなるものだったのでしょう。

近くには荒城跡などの遺跡もあり、平らな場所に立てば、東は千曲川の流れをはさんで関東山地、北は広々とした平野の向こうに浅間山が望めます。
 
by:A.E.G

茂沢南石堂遺跡 [縄文時代]

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 昭和33年のことです。のどかな畑地が一面にひろがる軽井沢町の南西部、茂沢区で道路改修工事が行なわれたところ、大量の土器や石器がみつかりました。これをきっかけに昭和36年から東京大学の三上次男教授により、茂沢南石堂遺跡の発掘調査が開始されました。金沢大学の上野佳也教授(後に東京大学・大正大学教授)に引き継がれた調査は計12次まで数え、東大・金大・中央大学を中心とした大学生や佐久考古学会員の参加も得て、昭和55年まで続けられました。
縄文時代後期が主体の遺跡で、住居跡の他、石棺墓を伴う配石遺構・環状列石などが発見されました。とりわけ特徴ある後期土器群は「茂沢タイプ」という名前で広く知られています。

調査された一部は町指定文化財として保存されており、発見された配石遺構も調査当時のままで目にすることができます。また出土遺物は軽井沢町歴史民俗資料館に展示されていますので、これからの行楽シーズン、軽井沢まで来られたのなら、ちょっと足を伸ばして遺跡見学はいかがでしょうか。
                     (しゃれこま)

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