馬場平での石槍の発掘 [旧石器]

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日本で初めて旧石器が発見された岩宿遺跡での発見から4年後の昭和28年、長野県川上村馬場平遺跡のローム層にメスが入れられた。

尖頭器(石槍)が旧石器時代の所産であることを確認するための発掘である。
予想通り、赤土(ローム層)の中からは石槍が発見され、そのことが証明された。

右から由井茂也、岩崎卓也、麻生優、吉崎昌一、芹沢長介、高橋護、戸沢充則、そうそうたる顔ぶれが集まり、発掘が行なわれた。

当時、芹沢長介の信条は、「槍ひとすじに」であったという。

雨境峠の鳴石 [古墳時代]

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峠には荒ぶる神がいた。旅人は神まつりをして、その神を和らげる必要があった。

雨境峠にはそんな峠での神まつりの跡が残されている。鳴石と呼ばれる巨石である。古代日本では、神はまつりの時だけ来訪した。訪れる神の目印になるように、人々は石や木などで神を迎える施設(依り代)をつくった。雨境峠ではこの鳴石がそれにあたる。
鳴石は、2個の巨石を鏡餅状に重ねたものであり、その間にはわずかな空間があるため、叩くと音がする。「鳴石」という名前の由来である。上石は235×218㎝、下石は306×295㎝で、平成5年の発掘調査により、この巨石は人為的に構築されたことが判明した。人々はこの鳴石に神を迎え、神まつりを執り行っていたのである。

古墳時代にはこの雨境峠を古東山道が通過していた。そして現在も県道諏訪白樺湖小諸線という佐久と諏訪をつなぐ重要な路線が走っている。
平成9年・11年の2ヵ年、諏訪郡原村教育委員会に出向していた私は、その間、幾度この峠を越えたであろうか。車を走らせながら古代の旅人に思いをはせていた30代の私であった。

交通:佐久からは県道諏訪白樺湖小諸線を白樺湖方面に進み、蓼科第2牧場・売店から歩いて数十m程行くと林の中に鳴石がみえてきます。

(しゃれこま)

『諏訪湖底曽根遺跡研究100年の記録』 [新刊紹介]

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 おとなり諏訪の著名な遺跡、諏訪湖底に眠る曽根遺跡の本が出来ました。

 100年に及ぶ研究史が網羅され、さらに石鏃1684点を含む「藤森栄一資料」を今日的な視点と共に紹介。縄文時代草創期のみならず、旧石器時代の石器や獣骨も!遺物のカラー写真もふんだんで、カタログ的価値も持ち合わせています。わたしA.E.Gもお手伝いしています。ぜひご覧下さい!

・ カラー図版込み537項
・ 監修 戸沢充則
・ 編著 曽根遺跡研究会(代表 三上徹也)
・ 発行 株式会社長野日報社
・ 2009年3月3日発行
・ 5000円(送料別)で販売されます。詳しくは、下記メールにご連絡を。

  pekopone@po24.lcv.ne.jp 曽根遺跡研究会(代表 三上徹也)

                                                      by A.E.G

矢出川の細石器 [旧石器]

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日本で初めて細石器文化が確認されたのは、1953年野辺山高原の矢出川遺跡だった。
佐久考古学会会長も務めた由井茂也さんと、旧石器研究のフロンテァ芹沢長介さんらが、吹雪の中で細石器を確認したことによる。

細石器は、カミソリの刃のような細石刃と、それを剥がす母体となる細石刃石核をさす。
写真の矢出川遺跡の細石刃石核は、矢出川型とも野辺山型ともいわれ、17000年前のもの。

矢出川で最初に確認された細石刃の遺跡は、50年を過ぎたいま、北海道から鹿児島までその存在が確認され、2000ヶ所に達している。

北西ノ久保古墳のハニワ [古墳時代]

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ハニワというのは、どうもホンワカした表情をしている。

現在、佐久大学のある佐久市根々井の北西ノ久保17号古墳の発掘調査で、たくさんのハニワがみつかった。6世紀後半のものだという。
写真の家型ハニワや人物ハニワのほか、飾り馬、ニワトリなどのハニワもあった。
これだけまとまってハニワが出たのは、東信地方ではここだけだ。

写真の家型ハニワは、入母屋作りの構造を示している。
人物は巫女だろうか、なにがうれしくてバンザイしているのか。
腰には帯が結ばれ、髪を結っていることがわかる。

佐久市には博物館がないので、こららのハニワは気軽に見れないが、佐久市文化財課の一室に、ひっそりと陳列されている。
■ 連絡をすれば見学できる。 佐久市文化財課 0267-68-7321

                                       by 八ケ岳

大庭遺跡 [奈良・平安時代]

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佐久市野沢方面から国道142号で立科町芦田方向へ進むと左手にツルヤ立科店がみえてきますが、このすぐ南に、史跡公園があることをご存知でしょうか。ここが大庭(おおにわ)遺跡です。
ほ場整備に先立って平成元年に発掘調査が行なわれ、縄文時代前中期の竪穴住居跡16軒と奈良平安時代の18軒の竪穴住居跡と1棟の掘立柱建物跡などが発見されました。
立科町では数少ない発掘されたムラでしたので、町では平成3年に、奈良時代の竪穴住居跡と掘立柱建物跡を復元し、発掘調査した一部分を史跡公園として整備したのです。
この史跡公園で、寝起きしていた竪穴住居跡と収穫物などを納めた高床式倉庫(掘立柱建物跡)を前にしばしの間たたずんでいると、1200年以上前にここに暮らした大庭ムラの人々の泣いたり笑ったり、喜んだり怒ったりしている声が、どこからともなく聞こえてくる気がします。穏やかな春の一日、みなさんもぜひ一度お出かけになってみてはいかがですか?
                                           by しゃれこま
交通:佐久市方面からの場合、ツルヤ立科店のある国道142号の「芦田」の信号機を白樺湖方向へ左折するとすぐ左手に、史跡公園の復元建物が見える。駐車場のあり。

                                                

北相木村考古博物館へようこそ [博物館]

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 ご存知でしょうか?
 佐久には洞窟(岩陰)遺跡も沢山あります。その中でも特に有名なのが北相木村の「栃原岩陰遺跡」です。1965年に発見され、以後信州大学を中心に10年以上も発掘調査が行われました。面積は60㎡程の小さな洞窟ですが、高さ5m以上も土が積もり、その中から、縄文時代草創期から早期(約1万~8千年前)の素晴しい遺物が見つかっています。
 この遺物を展示しているのが、南佐久郡北相木村にある北相木村考古博物館です。
 http://www.ytg.janis.or.jp/~kitaaiki/museum/index/index.htm
 ここでは土器や石器も沢山見られますが、なんといっても数々の有機質遺物が見ものです。顔付きが分かるまで復元された人骨、多量の動物骨、そして骨で作られた釣針や縫い針、さらには海の貝で作られたアクセサリーなど等・・・。加えて実物大に復元された岩陰もご覧いただけます。
 このブログでも少しずつ紹介していければと思っていますが、今すぐご覧になりたい方はドライブがてらどうぞお越し下さい。清流相木川のほとりにある小さな博物館でお待ちしています。

                                              by A.E.G

佐久の縄文土器と弥生土器 [通時代]

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凝ったデコレーションの縄文土器、シンプルな弥生土器。
どちらも佐久の古代人が使用した容れ物だ。

縄文土器は焼町土器(5000年前)、弥生土器は栗林式土器(2000年前)。
焼町土器は国重要文化財で、現在浅間縄文ミュージアムに展示されている。

金ピカの馬具 [古墳時代]

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 佐久市東一本柳古墳から出土した馬具類には、希少な長楕円形鏡板付きの轡や、写真に示した毛彫りの金銅製杏葉、同じく毛彫りの円形飾金具や蛇尾などがみられた。特に金銅製杏葉は杏葉本体が金具部と蝶番により連結されており、このように完形での発見例は非常に希少である。
 これら馬具の優品が一地方の極一般的な小古墳に副葬されている事は、驚愕に値する事実である。この出土品は古墳時代後期に佐久平が担った地域的な特質を如実に示す一つの資料であろう。

 本古墳は佐久市岩村田の湯川に望む台地の縁辺に立地、径10mほどの円墳で、内部主体は南開口の横穴式石室であるが、現在は残念ながら消滅している。石室はいわゆる両袖式の横穴式石室で玄門部に立柱石を立て袖とし、奥壁と側壁は石の最大面を壁面として利用する形態のものであり、佐久平では7世紀の後半に盛行した石室の形態であった。

                               (『佐久の遺跡』より)
 

土偶形容器 [弥生時代]

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館(たて)遺跡は佐久穂町抜井川が千曲川に合流する佐久穂町海瀬集落周辺に近い標高830m内外の段丘状に立地する。
写真の遺物は、土偶の形状をした容器である。リンゴ畑になっている緩傾斜の台地から発見された。髪は丹精に結い、ややつり上がった小さめの目、小さいが堀の深い鼻立ち、おちょぼ口、額・頬には刺青(タトゥー)が表現され、両耳には二つずつピアスと考えられる孔が穿たれた男性像だ。当時の倭人の表情を探る貴重な造形である。
神奈川県足柄上郡大井町中屋敷遺跡発見の同類の土器内には幼児の歯・骨片が入っていたことから、同様の土器は納骨用であった可能性が高いと考えられている。県内での類例は上田市(旧丸子町)腰越の淵の上遺跡にある。

                                     (『佐久の遺跡』より)

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