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推定東山道清水駅 [奈良・平安時代]

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「ここに間違いない」
 信濃史学会会長であった一志茂樹博士は、国道18号と国道141号が分岐する西原交差点付近の小諸市諸区に、古代の官道である東山道清水駅跡の推定地を置いた。
 現在、「東山道清水駅跡」という石碑が立っているその場所である。ただし、発掘調査によってこの場所が駅跡と判明したわけではないため、あくまでも推定地である。
周辺には「里見の井戸」と呼ばれる井戸や、飲堰や地割なども残っていることから、一志博士はこの場所を清水駅跡と断定したのである。
 東山道はここから長倉駅へと向かう。長倉駅の所在やそのルートには諸説があり、熱い議論が行なわれており、関心は高い。
東山道は今もなお、私たちの心をとらえて離さない東山道、それはまぼろしの古代ハイウェイである。

場所:上田方面から来ると、国道18号西原交差点左手の小道へ進むと道沿いに石碑がみられます。ソフトバンクのショップの北裏にあたります。

                          しゃれこま

大庭遺跡 [奈良・平安時代]

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佐久市野沢方面から国道142号で立科町芦田方向へ進むと左手にツルヤ立科店がみえてきますが、このすぐ南に、史跡公園があることをご存知でしょうか。ここが大庭(おおにわ)遺跡です。
ほ場整備に先立って平成元年に発掘調査が行なわれ、縄文時代前中期の竪穴住居跡16軒と奈良平安時代の18軒の竪穴住居跡と1棟の掘立柱建物跡などが発見されました。
立科町では数少ない発掘されたムラでしたので、町では平成3年に、奈良時代の竪穴住居跡と掘立柱建物跡を復元し、発掘調査した一部分を史跡公園として整備したのです。
この史跡公園で、寝起きしていた竪穴住居跡と収穫物などを納めた高床式倉庫(掘立柱建物跡)を前にしばしの間たたずんでいると、1200年以上前にここに暮らした大庭ムラの人々の泣いたり笑ったり、喜んだり怒ったりしている声が、どこからともなく聞こえてくる気がします。穏やかな春の一日、みなさんもぜひ一度お出かけになってみてはいかがですか?
                                           by しゃれこま
交通:佐久市方面からの場合、ツルヤ立科店のある国道142号の「芦田」の信号機を白樺湖方向へ左折するとすぐ左手に、史跡公園の復元建物が見える。駐車場のあり。

                                                

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