月明沢遺跡 [弥生時代]
佐久には洞窟・岩陰遺跡がいくつかありますが、先日、佐久市前山の「月明沢遺跡」を訪ねる機会に恵まれました。
蓼科山起源の火山噴出物の末端が浸食されて出来た岩陰とされ、谷底からは約20mでしょうか、ほぼ垂直の崖にありました。
1965年、地元中学生が発見し、有志の発掘により10数体分の人骨、土器、石斧、鹿角等を発見。このうちの一部を信州大学医学部で鑑定し、1971年に西沢寿晃氏、小松虔氏らによって発掘調査されています。この時の調査でも、土器片の他、抜歯や焼かれたものを含む人骨、穿孔された人の歯が出土しました。また出土した土器は弥生時代初期のものと思われます。
遺跡の性格としては、出土した(あるいは採取された)遺物から、おそらくは弥生時代の再葬墓関連施設と位置づけたいところ。つまり、別の場所から、遺体(もしくはその一部)を、ここに埋めなおした場所と思われるのです。
とにかくすごい立地でした。当時の地形までは分かりませんが、このような場所に故人を葬った心情は、いかなるものだったのでしょう。
近くには荒城跡などの遺跡もあり、平らな場所に立てば、東は千曲川の流れをはさんで関東山地、北は広々とした平野の向こうに浅間山が望めます。
by:A.E.G
土偶形容器 [弥生時代]
館(たて)遺跡は佐久穂町抜井川が千曲川に合流する佐久穂町海瀬集落周辺に近い標高830m内外の段丘状に立地する。
写真の遺物は、土偶の形状をした容器である。リンゴ畑になっている緩傾斜の台地から発見された。髪は丹精に結い、ややつり上がった小さめの目、小さいが堀の深い鼻立ち、おちょぼ口、額・頬には刺青(タトゥー)が表現され、両耳には二つずつピアスと考えられる孔が穿たれた男性像だ。当時の倭人の表情を探る貴重な造形である。
神奈川県足柄上郡大井町中屋敷遺跡発見の同類の土器内には幼児の歯・骨片が入っていたことから、同様の土器は納骨用であった可能性が高いと考えられている。県内での類例は上田市(旧丸子町)腰越の淵の上遺跡にある。
(『佐久の遺跡』より)
弥生のアクセサリー [弥生時代]
真っ赤な鉄石英の管玉、深緑の碧玉の管玉、白銅製のペンダント、鮮やかなグリーンの勾玉、佐久市社宮司遺跡の装飾品の美しさからはため息が漏れる。遥か過去の時代にあっては、相当に貴重な財物であったに違いない。
千曲川左岸の標高682mの沖積微高地で、佐久市の野沢南高校の東にあたる、社宮司地籍からこれらのアクセサリー類が出土したのは、ゴボウ掘り折りの昭和27年のことであった。発見者は耕作者の伴野稀一郎氏夫人である。
出土したのは、白銅製ペンダント1、ヒスイ製勾玉1、鉄石英製管玉15点、碧玉製管玉10点、板状鉄斧1で、弥生土器底部とともに見つかった。これらアクセサリー類は、墓などに副葬されたものなのだろうか。また、これらの財物を所持していたのは、当時の佐久地方において、どのような社会的位置にあった人物だったのだろうか。興味は尽きないところである。
白銅製ペンダントは長さ4.2cm、朝鮮半島製の多紐細文鏡の破片を涙滴形に再加工したものであり、国内でも稀少例である。勾玉は4.6cm、管玉は1㎝から3㎝程度の長さのものである。